|
ハヌカ(宮きよめの祭り)
|
||
|
|
|
| <序 文> | ||
| 毎年、聖書暦第12月(キスレヴ)25日から、八日間「ハヌカ」と呼ばれるお祭りが、ユダヤの家庭で祝われる。通称、この祭りは、光の祭り(Feast
of Light)とも呼ばれ、ハヌキヤーという9個のロウソク(蝋燭)立をもつ燭台に、毎日一本づつロウソクを灯しながら、八日間にわたる。ある家庭では、ハヌカ・プレゼントと称して、毎日一個づつ、贈り物を交換したりする。これは、近年、習慣となったもので、キリスト教のクリスマス・プレゼントを意識したものと言われている。そうそう、キリスト教の影響では、ハヌカ・ブッシュ(あの燃えない柴を想定してか?)と称する、クリスマス・ツリーに似たものも置く家庭もあると聞いている。従って、子供達にとって、神秘的に揺らめくロウソクの光を見ながら、父母、兄姉の用意してくれたプレゼントを開ける歓喜は、寒とした冬の夜空を突き破り、愛のはぐくみを受ける時となるのです。
この祭りは、ユダヤ人社会にとって確かな地位を占めているにもかかわらず、タナークと呼ぶヘブライ聖書(旧約聖書)中には、一度として現れない。 しかし、新約聖書には、イエス様がお祝いしたように見うけられる個所がある。 それでは、この祭りの歴史的背景を学び、ご聖霊様の光を当てつつ、祭りの持つ意味について、お伝えしましょう。 |
||
|
第一の蝋燭(第一章)
|
||
|
預言的背景
この祭りを、「宮きよめの祭り」と称していることは、ある歴史的事件に発している。それは、紀元前165年に、マカビー(金鎚、トンカチとの意味)というユダヤ人とその家族が、シリヤ領となっていたイスラエルの首都エルサレムの神殿を、彼らから奪還し、聖別した時の祝いに由来する。そこで、そのシリヤが歴史に現れるまでの経過を、旧約聖書ダニエル書の預言に基づいて調べます。 <ダニエル書8:3、5〜9、12、20〜25> 「私が目を上げて見ると、なんと一頭の雄羊が川岸に立っていた。それには二本の角があって、この二本の角は長かったが、一つは他の角より長かった。その長いほうは、後に出て来たのであった。、、私が注意して見ていると、見よ、一頭の雄やぎが地には触れずに、全土を飛び回って、西からやって来た。その雄やぎには目と目の間に、著しく目立つ一本の角があった。この雄やぎは、川岸に立っているのを私が見たあの一本の角を持つ雄羊に向かって来て、勢い激しく、これに走り寄った。見ていると、これは雄羊に近づき、怒り狂って、この雄羊を打ち殺し、その一本の角をへし折った、、。この雄やぎは、非常に高ぶったが、その強くなったときに、あの大きな角が折れた。そして、その代わりに、天の四方に向かって、著しく目立つ四本の角が生え出た。そのうちの、一本から、また一本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国に向かって、非常に大きくなっていった。、、(その)軍勢は渡され、常供の奉げ物に代えて、背きの罪が奉げられた。その角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた。、、『悟れ。人の子よ。その幻は、終わりの時のことである。』、、『あなたが見た雄羊の持つあの二本の角は、メディアとペルシャの王である。毛深い雄やぎはギリシャの王であって、その目と目の間にある大きな角は、その第一の王である。その角が折れて、代わりに四本の角が生えたが、それは、その国から四つの国が興ることである。しかし、第一の王のような勢力は無い。彼らの治世の終わりに、彼らの背きが窮まるとき、横柄で狡猾な一人の王が立つ。彼の力は強くなるが、彼自身の力ではない。彼は、あきれ果てるような破壊を行い、事をなして成功し、有力者達と聖徒の民を滅ぼす。彼は、悪巧みによって欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人手によらずに、彼は砕かれる。』、、、」 歴史は、これらの聖句が次のような帝国と人物であったことを確認している。 @ 一頭の雄羊:バビロニア帝国 BC606~536 A 二本の角:メディアとペルシャ帝国 BC536~332 B 一頭のやぎ:ギリシャ帝国 BC331~146 C 目と目の間に著しく目立った一本の角:アレキサンドロス大王 D 著しく目立つ4本の角:4将軍によるギリシャ帝国分割 BC146 ギリシャ、小アジア、スリヤ、エジプト E 一本の小さな角:シリヤ国(セレウサイド国)~BC146 F 横柄で、狡猾な一人の王 :アンティオコス大王 在位BC175~164 |
||
|
第二の蝋燭 アンティオコス大王の悪業績(BC175~164)
|
||
| この大王がエルサレムに侵入し、聖所を汚し、ハヌカの祭りの舞台を生み出した。旧約聖書に付属する外典、第一マカバイ記によれば、その様子は次のようであった。
"アンティオコス王は自国スリヤに対する支配権が固まったと見ると、エジプトの地を征服して、二つの王国を支配しようと企てた。、、こうして、エジプトを打ち破った彼は、第143年、矛先をイスラエルに転じて大軍と共にエルサレムを目指して上って来た。彼は不遜にも聖所に入り込み、金の祭壇、燭台とその付属品一切、供えのパンの机、ブドウ酒の奉げ物用の壷と杯、金の香炉、垂れ幕、冠を奪い、神殿の正面を飾る金の装飾をすべて剥ぎ取った。、、彼は人々を殺戮し、高言を吐き続けていた。、、二年後、王は大軍を率いてエルサレムにまで来たが、言葉巧みに穏やかな調子で語ったので、住民は彼を信頼した。すると、彼は突如としてこの都を襲い、破壊をほしいままにし、多くのイスラエル人を殺した。そして、略奪をしたうえで、都に火を放ち、家々や都を囲む城壁を破壊した。女、子供らは捕らえられ、家畜もまた奪われた。、、、 王は領内の全域に、全ての人々が一つの民族となるために、おのおの自分の慣習を捨てるよう、勅令を発した。、、更に、王は使者を立て、エルサレムならびに他のユダの町町に勅書を送った。その内容は、他国人の慣習に従い、聖所での焼き尽くす奉げ物、いけにえ、ぶどう酒の奉げ物を中止し、安息日や祝祭日を犯し、聖所と聖なる人々を汚し、異教の祭壇、神域、像を造り、豚や不浄な動物をいけにえとして献さげ、息子達は無割礼のままにしておき、あらゆる不浄で身を汚し、自らを忌むべきものとすること、要するに律法を忘れ、掟を全て変えてしまうということであった。そして、王のこの命令に従わない者は死刑に処せられることになった。、、、(第一章から抜粋)" また他の歴史家は、この時、エルサレムに侵攻した大王は、8万人のユダヤ人を殺し、4万人を捕囚とし、4万人を奴隷に売ったと報告している。 要約すると、 @ ギリシャ(ヘレニック)文化の強要をユダヤ人に迫った。そして彼らの多くはそれに屈し、受け入れた。 A ユダヤの習慣の廃止令を布告した。安息日、例祭、食物規定(コーシャー)、割礼等を止めなければ、死刑とされた。 B イスラエルの神殿の聖具を奪い、聖所を汚し、金のメノラーさえ倒した。 (ただし、契約の箱は奪われなかった。) C 豚を犠牲として捧げることを命じ、ギリシャの神であるゼウスの像を建 てて、エルサレムの神殿の礼拝の対象とさせた。 |
||
|
第三の蝋燭 シリア王に関するエピソード
|
||
| アンティオコス大王は、自己を呼称するに、エピファネス:神の現れ、 現人神と呼ばせていた。 ところが、ユダヤ人たちは、彼を呼ぶに、エピマネス:気違いと陰口をた たいていた。 | ||
|
第四の蝋燭 マカバイの神殿回復の反乱
|
||
| このような辱めを潔しとしない、ヨヤリブの子孫の祭司であったマタィアは、「律法に情熱を燃やす者、契約を固く守る者は私に続け。」と励まし、スリヤ軍に対抗すべく、マタィアとその息子達は、家財一切を町に残したまま、山に逃れた。そして、父の死後、彼の情熱と正義の火の手を受け継ぎ、一団の指導者となったのが、三男坊のマカバイと呼ばれるユダであった。彼は、大軍を目の前にして、「戦いの勝利は兵士の数の多さによるものではない。ただ天の力のみだ。、、我々は命と律法を守るために戦うのだ。天が我々の目の前で敵を粉砕して下さる。」と祈り、敵を撃退していった。そして、紀元前146年、マカバイに牽きいれられた反乱軍(ハヌカ軍?)は「見よ。我らの敵は粉砕された。都に上り、聖所を清め、これを新たに奉献しよう。」との、マカバイの叫びに応答し、シオンの山を目指して上って行った。「、、、祭司達は、聖所を清め、汚れの石を不浄の場所に移した。、、そして、彼等は、律法に従って、自然のままの石を持って来て、以前のものに倣って新しい祭壇を築いた。こうして、聖所および神殿の内部を修復し、、、聖なる祭具類を新しくし、、燭台には火を灯して神殿内部を照らした。第148年の第九の月―キスレウの月(西暦では12月)―の二十五日に、彼等は朝早く起き、焼き尽くす奉げ物のために新しい祭壇の上に律法に従っていけにえを供えた。異教徒が祭壇を汚したのと同じ日、同じ時に、歌と、竪琴とシンバルに合わせて、その日に祭壇を新たに奉献した。、、こうして、祭壇の奉献を八日にわたって祝い、喜びをもって焼き尽くす奉げ物をささげ、和解の奉げ物と感謝の奉げ物のいけにえを屠った。、、ユダとその兄弟達、およびイスラエルの全会衆はこの祭壇奉献の日を、以後毎年同じ時期、キスレウの月の二十五日から八日間、喜びと楽しみをもって祝うことにした。 (共同訳マカバイ記4章から抜粋)」
これは、預言者の書、ゼカリヤ9章3節の成就であった。 「シオンよ。わたしはあなたの子らを奮い立たせる。ヤワン(ギリシャ) はあなたの子らを攻めるが、わたしはあなたを勇士の剣のようにする。 |
||
|
第五の蝋燭 奇跡
|
||
| ここからは伝説の域になってしまうのだが、この時、祭司達は燭台用の聖 なる油を一日分しか発見することが出来なかったと言う。しかし、トーラー の教えに従って点灯した結果、その灯火は消えることなく、八日目まで続いたと言う。故に、その後、この祭りは蝋燭を八日間灯して、お祝いするようになった。 | ||
| 第六の蝋燭 八日間の神殿奉献 | ||
| この期間の設定は、第一神殿がソロモン王によって奉献された時に準じた。 「ソロモンは、この時、彼と共にいた全イスラエル、すなわち、レボ・ハマテからエジプト川に至るまでの大集団と一緒に、七日間の祭りを行った。彼等は第八日目にきよめの集会を開いた。七日間、祭壇の奉献を行ない、七日間、 祭りを行なったからである。(U歴代7:8,9)」 この八日間という期間は、聖書暦第七月の15日から祝われる「仮庵の祭り(レビ記23:35)」に由来する。この祭りは、その年の最後の収穫祭であり、また、エジプト脱出後、カナンの地に入植するまでのイスラエルの民の40年間にわたる、荒野での生活の只中に、神様が仮庵(一時的な住まい)となって守って下さった記念でもある。(この祭りについての詳細は、小生の別稿を参照ありたい。) 神様の臨在を意識するために、第一神殿時のソロモン王、第二神殿時のネヘミヤ・エズラ達は、仮庵の祭りに準じる期間を、神殿奉献儀式の為に祝ったのである。 |
||
|
第七の蝋燭 双六遊び
|
||
| この神殿再奉献後、当時の子供達は、ドレイデルと言うこま遊びを考案した。 <イスラエルの路上。トーラーを学ぶ子供達。シリヤ兵が近づく。トーラーを隠し、ドレイデルを出す子供達。こま遊びをしているように見せかける子供達。兵士が去る。トーラーを持ち出し、再び学び始める子供達。> このドレイデルは、四角錐でなり、ヌン、ギメル、ヘイ、シンというヘブル語の四文字が記されている。これは、「ネス ガドル ハヤー シャム」の頭文字で、「そこで、大奇跡が起こった。」との意味である。現在も、この時期、双六ゲームとなって、子供達はドレイドルを回しながら遊んでいる。 |
||
|
第八の蝋燭 新約聖書の光に照らす
|
||
| 1)主イエス様は、マカバイ達が清めた宮にて、この祭りを祝った。 「エルサレムで、宮きよめの祭りがあった。時は冬であった。(ヨハネ10:22,23)」 ハヌカ祭についてのエッセイ < あの時、灯火が霊感を与えるためにつけられる。それは、救い主の光が、私 達の心の中で、輝かしく燃えなくてはならないためである。(Mesorah Pub.1981)> ハヌカは、救い主による望みを強調する特別な時である。それは、解放の祝いであるからだ。この祭りの最中に、ユダヤ人達は、イエス様に質問した。「いつまで私達を不安のままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、 そうとはきっり言って頂きたい。(ヨハネ10:24)」そこで、イエス様ははっきりと言われた。「わたしは話したのだが、あなた方は信じようとしない。わたしの父の名によってしている全てのわざがわたしのことを証している。 (同10:25)」 このことばに続くイエス様のハヌカ・メッセージ(同10:25〜39)は、彼が救い主であることを主張したものとなった。 2) 霊的な学び ィ)「あなた方の身体は、あなた方の内に住まわれる神から受けた聖霊の宮であり、、、。(Iコリン6:18~20)」 私達の滅び行く身体は、神様の霊が、神様のいのちが宿る不滅の身体と変えられた。 ロ)「神の御心は、あなた方が聖くなることです。(Iテサロ4:2~8)」 「全ての人との平和を求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなくては、誰も主を見ることはできません。 (ヘブル12:14)」 新約聖書はトーラーの道徳律の成就の過程を語っており、主は、信者が御ことばと聖霊様の働きに頼み、聖くなりたいと意志を働かせることを願った。それは、613ヶ条あるトーラーのご命令の内で、この個人の心の改革が一番困難であるからだ。一日毎に増やされていくロウソクの光を見ながら、イスラエルの聖者を想い、聖められることを願い、また、聖まっていないことを悔い改める八日間でもある。 |
||
|
第九の蝋燭 世の光
|
||
| ハヌキヤーと呼ばれるハヌカの祭り用の燭台は、九本の蝋燭受けで構成されている。八日間にわたるお祭りは、第一日目は一本、第二日目は二本、第三日目は三本と言った具合に、九本目の蝋燭から順次点火されていく。この九本目の蝋燭を、ある者は「奉仕者」、「イスラエル国家」の象徴であると言う。
「わたしはあなたを諸国の民の光とし、地の果てまでわたしの救いをもたらす者とする。(イザヤ49:8)」 ここでの、「あなた」とは、国としてのイスラエルを指し、トーラーをして世界の隅々に救いに至る道と、聖い信仰生活の方法を示すというのである。 そして、それは主イエス様という光を見ることのみによって可能となる。 「わたしは、世の光である。(ヨハネ8:12)」 イエス様がイスラエルの神殿で灯されるまことの光であり、私達の宮を照らす唯一の光である。ハヌカの祭りは、このように私達を聖化へと意識させるすばらしいお祭りである。 (了) |
||